BIOGRAPHY

長崎県 佐世保市出身。

自宅の近くに米軍基地があった関係から子供のころよりビートルズや/ダイアナ・ロス/ジャニス・ジョップリンサリナ・ジョーズなど、 さまざまな洋楽にショックを受ける日々を送る。

その後名古屋に移り、そこで過ごした高校生の頃には大人に混じってジャズスポットなどで歌ってた。

その様子を見たフォーライフレコードにスカウトされ、19897月にシングル「Shakin‘  Chanece」でメジャーデビュー

1991年4月に発売したシングル「人間なんてララララ」は30万枚以上の大ヒットとなる。

同年、南アフリカ共和国のマンデラ元大統領の来日で、日比谷公園野外コンサートで忌野清志郎/シーナ&ロケッツと競演、「アフリカに祝福あれ」を歌唱し、ネルソン・マンデラ氏から絶賛される。

その後、クラウンレコード~エアーズと発売拠点を移しながらシングル4枚、ミニアルバム2枚を発売。

特に1998年7月に発売したミニアルバム「Till the end of time」は、「CHICAGO」の当時のリードヴォーカルのジェイソン・シェフとのツイン・ヴォーカルが話題となり、AORファンから特に絶賛される。

2001年、コロムビアミュージックエンタテインメントの新レーベル立ち上げに際して、ジャズとヒップホップを融合したユニット「Grand Bleu J」を結成。

また、「オレンジペコ」などのクリエーターとして注目を浴びていたURUと「Precious Bible」を発売。

20021月、南青山マンダラで初めてスンダード・ジャズを歌うコンサートを行い大盛況を博す。

この大好評の結果を受け、以後ジャズ・ヴォーカリストを軸に活動していくことになる。また、このライブをきっかけにして南青山マンダラでのライブが定例化し、2002年は年間4回開催、2003年は3回の南青山マンダラのライブを開催した。

プリズムに移籍、20039月に初のジャズアルバム「GOLD TIME」を発売。ジャズヴォーカリストとして内外の関係者からいきなり高い評価を受ける。

2004519日「銀座博品館劇場」/1210日「銀座ヤマハホール」/2005929日「草月ホール」と、いずれもソールドアウト。

20053月、クラウンレコードよりフランス映画「いつか、きっと」のイメージソングを発売。

7月、スティーブ・ガッドポール・リー/デビット・マシューズらとニューヨークでレコーディング゙したアルバム「What a Difference」を発売。

8月、劇団青年座の公演にてジャズシンガー役で出演。ジャズスポットではなく、ライブハウス「南青山マンダラ」を拠点としてホールコンサートを中心にライブ活動を展開。驚異的に動員数が増加した。

年、10月に長崎・佐世保ジャズフェスティバルに出演。

200612月に劇団青年座の定期公演に再度出演。今回はシャンソンを歌った。

20072月頃から東京のジャズ・クラブで様々なジャズミュージシャンとのセッションを行い、更に歌唱力が好評を博し、地元で「佐世保観光大使」に任命される。

200912Nat King Cole トリビュートアルバムToo Youg」を発売。

2011311日の東日本大震災後、津波の直撃を受け4000名近い死者・行方不明者を出した宮城県石巻市を中心に、友人たちと一緒に被災地支援に勤しむ。その過程で震源地に最も近く、自宅のある集落の大半が壊滅状態となった石巻市立牡鹿中学校の生徒

たちと出逢い、10同中文化祭に招かれ、生徒たち一人一人の顔と生徒たちから聞いた震災前の牡鹿半島の光景を思い浮かべて

書き下ろした「君が笑ってる、みんな笑ってる」を披露。

20121「この曲を自分たちの応援歌に!」・「二つめの校歌ができた!」と喜ぶ生徒たちと先生方保護者の方々・支援者の気持ちが一つになり、復興支援ソングとしたCDシングル「君が笑ってる、みんな笑ってる」が発売される。

6月、新潟県妙高市で開催された「第16回妙高オーディオ倶楽部発表会」で課題曲としてAlbumWhat a Difference

からPretendが選ばれ、参加者全員のオーディオ・システムから次々と奥土居美可の歌声が流れた。

20133月より、奥土居美可と一緒に東京の新しい夜の魅力を探訪する企画「Tokyo Night Jazz Cruisingがスタート、初回は5ケ所でミニライヴを開催した。

20141月、ホームグランドの六本木スイートベイジルで16回目のライブを開催、この実績はジャズボーカリストとして最多。

5月、2日間で30万人を動員する大阪の「高槻ジャズストリート」初出演。

8月、第2回「Tokyo Night Jazz Cruising」を実施、5ケ所のジャズスポットでライブを開催

11月、神奈川県民大ホールにて開催の「マクロス7」の20周年記念イベントにサプライズゲストとして出演、「Heat Soul」を熱唱した。

3月、歌で笑顔を作ろうの一環として「奥土居美可ジャズボーカル教室」が開講された。

20151月、大阪グラバー邸でNew Year Liveを開催。

3月、初のBirthday Liveを六本木All Of Me Clubで開催。

8月、宮城県石巻の雄勝町の慰霊祭&花火大会に参加し、ライブを行う。

8月、白金台八芳園でおこなわれた「にっぽんだいすきチャリティコンサート」に参加。

9月、「マクロス7」の25周年記念イベントに出演。

20204月、コロナ禍の渦中、自宅で過ごすファンのために初のオンラインライブに挑戦。

同年9月、安部首相とプーチン大統領のウラジオストクでの「東方経済フォーラム」の懇親会においてゲストライブ(コロナ禍で

中止)その少し前に予行演習的な意味合いも併せて、同じメンバーで渋谷JZブラッドでライヴを開催した。

202111月、横浜武道館にて開催された障害者を応援するイベント「勇者の日」に出演。

2022年、日韓スーパーミュージックフェスティバル」に出演。

その後も東北の復興支援を続けながら、各種ライヴを中心に、佐世保観光大使として精力的な活動を展開している。